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3年目の3月11日に生きて

あっという間に2年がたちました。全くと言っていいほど自分の中で震災について整理ができないまま今に至っています。衝撃的な映像はこの時代だからこそ沢山蓄えられ、ユーチューブに代表さるWEBの世界によっていつでも世界中の人が見ることのできる状態になっています。

 

しかし、こんなにも簡単に見れる映像がありながら、記憶の風化は絶対に避けられないのだと思うことが沢山あります。被災地で震災復興住宅を創りにも行きました。復興を題材にした展覧会やセミナー・イベントも行きました。しかし生きている自分たちはどんどん忘れていくような気がしているのです。

 

もしかして人間はどんなに覚えようとしても忘れるようにできているのでは無いのでしょうか?でもそれはなぜなのでしょうか?と考え始めました。その答えを私はこう考えました。

 

「生かされているものの使命」。つまり、未曾有の災害でいつ何時自分も亡くなるかわかりません。しかし今回私は「生かされ」ました。生かされる事によって沢山の被災の思いと経験を後世に伝え、また生きている間に自分ができるはずの事をしっかりやり遂げる事そういった使命を全うする為に「忘れる」のでは無いかと。

 

震災で沢山の問題が出ました。原発、津波、防災、・・・・でも全て関われるわけではありません。その中の「生かされる」理由である、自分が関われる事の情報しか残らないのだと思うのです。私達が関わる住宅では、津波については構造ではどうしようもありませんし、放射能を遮るすべも完全にはありません。しかし地震の揺れを少なくしたり、ライフラインが寸断されたりした時のアイデアは沢山生まれてきます。

 

これからはエネルギーのことは絶対要件です。そのために苦しい辛い生活をするより、生かされた者として人間らしい生活をしながら生きていく価値観を変えていき、後世に辛く悲しいばかりの震災を伝えるだけでなく、震災によってこうやって生かされた人々が変えれる事になった輝かしい未来の話を伝えるように考え、行動をしたいと思います。

 

すべてを覚えていない事は恥ずべき事では無いのだと思っています。今すぐにできることそこから再スタートして行くこと、それが大事なのだと思っています。